コーヒー黄金期 その① 大農園

パスコア(キリスト復活日)の連休はサンパウロ市から310kmはなれたバナナルBananal市へでかけました。植物を研究しているグループに入れていただき、3日間の旅でした。

リオ州に近く、19世紀中ごろのコーヒー栽培として栄えた所、コーヒーの大農園があり、また、コロニア様式の町並みー大邸宅・旧市立劇場・ブラジルで最初の薬局などーが残されています。


1855年造り、意外と質素。ピストルのコレクションと一緒に奴隷拷問の機器がずらり。
コーヒー貿易より奴隷密売で儲けた農場主もいたとか?
内装・家具もコロニア様式?銀器が目立ちます。手入れが大変だったでしょうね。
優雅な生活の同じ家屋の地下室が奴隷小屋を兼ねていました。
彫刻の黒人女性が窓からおで迎え。
この農園には当時としては珍しい水洗式?トイレが屋内にありました。
その水は働けなくなった奴隷を水ぜめで殺す場所まで流れていきました。
ブラジルでは11月20日が「黒人意識の日」Dia  Conciencia negraとして祝日と
なっています。国民の意識改革の表れでしょうか。

本当に碧い碧い空なんです。
ゲスト・センターです。地域の動植物や鉱物を展示しています。山登りにはギアが必要。




生まれて初めて 梅狩り!


 サンパウロ市から70k離れたピニャールドスル市でブドウを生産しているA氏の農園に梅狩にでかけました。

イタリアブドウの生産が中心なので、梅やオレンジやレモンなどは、実が落ちる前にとってってくださいというありがたいお言葉に出かけました。梅がこんなふうに実をつけることも知りませんでした。形がいいですね。

70歳代のA氏ご夫妻はお元気にブドウ作りに精をだされていますが、次の後継者がいないので、「どちらかが倒れたら、この農園も終わりです」と残念そうでした。

おいしいシュラスコをごちそうになり、梅の実をいっぱいいただいてかえりました。

6ヶ月後、梅酒となり、毎晩、チョットずつ飲んでいます。


詩心があったら、一首できそうなのに、頭に浮かんだのは、
あの梅酒のCMソングとは?!












憲法記念日 ブラジルにはありませんが

5月3日は日本では憲法記念日ですね。最近は改憲ムード優勢のようですね。

 ブラジルでは最近、連邦裁判所から、「連邦大学と州立大学の人種枠」を合憲とする裁判結果がでました。 これは現在、学費ただの州立大学(例USPサンパウロ州立大学など)入学には、高額の学費を予備校に払える家庭の子弟したか入れません。学費は1000~2000レアル(最低給与600レアルの国で)もかかるので、貧乏人には最初から無理。

 そのため、特に黒人・インディオ枠と、社会枠(困窮世帯対象に学費援助)を設けても、「憲法の教育を受ける権利」に対する逆人種・社会差別ではなく合憲だとしたのです。枠の率については州により違いっています。黒人数が少ないリオ・グランデ・ド・スール州は30%と高率です。サンパウロ州などはそこまで多くありません。

  しかし、大学で枠を設けるのではなく、小中学校から援助を開始しなければ効果は少ないと思います。事実、せっかく大学に入っても、卒業できないケースも多いとか。また、大学内で差別を感じる学生もいます。


  私もUSPサンパウロ大学の付属機関で10年間働きましたが、工学部・医学部などの学生駐車場には新車が並び、先生方は中古車が目立ちました。私も10年ものでした!ハイウェイを低速度で運転し、どなられたこともありましたが懐かしい思い出です!

♪家族になろうよ♪ いい歌ですね。

こちらの結婚事情
登記所で結婚届にサインするだけでもOK。 18歳から成人。
保証人は登記所に来ている誰でも可です。トロピカル地帯ですから
早熟性で14-15歳の結婚も多いです。青春時代が重い現実にぶつかりそうです。
2010年世論調査によれば、正式結婚していない同居婚が36,4%に達しているそうです。
また少子化も日本に近づています。サンパウロ州で1.62人で最低です。
40年前は5人以上が当たり前でしたが。息子の出産後、手伝ってくれた家政婦さんは
12人の子持ちで、座って食事をすることもできないと言っていました。今は孫とひ孫に
かこまれているそうです。ウーーン、私にはできない!!!
出産年齢も30歳以上での初産が31.3%を占めるとのこと。
これは歓迎すべきでは!

この大震災以後、家族の絆がまた再認識されたようです。
頼みになるのはやはり家族関係か?
家族を構成するのは個人からです。
対家族、対社会、対世界で、おおらかな信頼関係が築けるといいですね。

今回の翻訳には二世の友達が助けてくれました。彼女はバイリンガル。
ありがとう。オブリガーダ。

Vamos ser uma família!

Mesmo passado 100 anos, continue-me amando
Mesmo deixando-o em apuros, no frente de todos,
Mesmo assim,você sorria ao meu lado
Obrigada por ter me escolhido.

Por mais que confiamo-nos ao fundo
Há coisas que não nos compreendemos
Talvez, conviver com essa solidão seja a amor

Um dia como os ombros fortes do papai
Um dia como o arinho sereno da mamãe

Que consigamos superar qualquer obstáculo
Vamos ser uma família!

Quando pequenina, era uma criança frágil
chorava por qualquer motivo, era uma criança mimada

Só tinha tempo para mim
não tenho dom para cuidar, dar carinho aos pais

O eu amanhã não mudará tanto,mas se pouco a pouco
puder me transformar em uma pessoa
que seja carinhosa com outros

Um dia como a força calada do vovô
Um dia como o sorriso amável da vovó

Com você posso caminhar
Vamos ser um casal assim!

Um dia com um menino sorridente como você
Um dia com uma menina choramngas como eu

Que consigamos superar qualquer obstáculo
Vamos ser uma família!
Com você posso caminhar
Vamos ser felizes!

お幸せに。
いい写真がありません。後で選びます。

盛り上がりました!BEGIMのライヴ



まさかサンパウロでBEGIMのライヴにいけるなんて!それもただで!?
お話はこうです。1908年の最初の移民船「かさと丸」で、多くの沖縄県人が夢とともに、ブラジルにやってきました。同県人の結束の固さには定評があります。現在はなんと40ちかくの支部があり、会員数は万を超えるそうです。そのため2008年の移住100周年記念にBIGIMにライヴ打診をしたのですが、どうしても調整ができず、今回やっと実現したそうです。

 最初、沖縄県人だけの限定でしたが、サンパウロ市長から、5000人収容のアニェンビー展示会場を無料提供されたため、一般人にも券が配布されました。入場無料ですが、1kgの粉ミルクをできたら、持参せよとのこと、これはよくある形式で、市営の幼稚園や小学校の給食の1部となります。

 配布当日、指定された都心のコーヒーショップへ、出かけましたが、何と朝の7時半に300人が並んでいたとか。当然、券も入手できず、あきらめていた所に、BIEGIMと同じ石垣島出身の友人が10枚を職場にまわしてくれました。当然、くじびきとなり、クジ運のない私としてあきらめていましたが、見事あたり!

 11月12日(土)、ライブ開始は午後4時、開演は12時(昨夜から並んだファンもいたとか。スゴイ!)友人と二人喜び勇んで出かけました。彼女はpressでお仕事。私は60歳以上の特別席で(前列20列目?)。
コンサートのための会場ではなく、国際書籍ビエナーレなどが行われる場所に椅子を5千並べ、ステージが組まれました。音響効果は素人の耳には?!

 テレビやYOUTUBEでおなじみのお三方はラフな沖縄スタイルで登場!
 当地の人たちはBEGIMをビジンまたはベジンと発音!すべての曲に、ピューピュー音と名前の連呼、合いの手をいれ、沖縄太鼓の演奏もあり、大変盛り上がっていました。途中からは後方の自由席の若者たちは踊りはじめました。90%が沖縄系出身で客で、お年寄りは故郷を懐かしんでおられました。いろいろな島の歌を方言で歌われました。

「涙そうそう」「しまんちゅうの宝」「さんしんの恋」などヒット曲も一緒になって歌ってきました。気持ちよかったです。翌日の邦字紙によれば7000人を動員したとのことです。


BEGIMの皆さん、心温まるライブをありがとうございました。

春です!Feira de Flor 花市です!









日本は紅葉が美しい秋たけなわ・・・当地は春たけなわ、どこでも花祭り、緑の祭りです。観光源としてどの市でも力を入れています。オランブラ市(オランダからの入植者の地域でお花の大生産地としても有名で、その6割は欧州向け輸出花です)を始め、毎週どこかで開催されています。
 私も友人の車で、サンパウロから60kくらいのアルジャー市へ行ってきました。蘭類や藤の花、観葉植物、三色すみれ、バイオレットetc、日本庭園を模したものや展示もいろいろ。花々や緑に元気をもらって帰ってきました。抱えきれないほどの植木鉢を買って。
 この地の小型三色すみれが色の配色もよく、強く庭園にもぴったりとか。友人は2ダースも買い求めていました。庭の手入れで彼女が苦手なのはナメクジだそうです。ブラジル・サイズは15cmもあるそうで、一晩で葉を食べつくすそうです。トロピカル気候は繁殖も速く、なんでも大型です。

 お昼は同市の日系農業団体の婦人部の皆さんのお弁当、おうどん、カレーライス、焼きそばなど勢ぞろい。
行列の少ないお弁当を試食。おいしかったです。そのほか、お手製のお味噌、ラッキョウ、福神漬け、イチゴ大福などもゲットしました。当分日本食でうれしいです。
 カメラを忘れたので、家で撮った写真の1部を載せます。







Rock in Rio 2011 終わりました!


9月第3-4週末に行われたこの恒例?メガ・エヴェントも動員数70万人を集め成功裏に終わったそうです。
ああ、もちろん、高齢の私が行ったわけではないのですよ。ただ、音楽に興味がある1人として、見ていたわけです。you tubeで見られた日本のロック・ファンもいるかもしれませんが。
ミュージッシャンであり、作家でもあるトニー・ベロット(Tony Bellotto)さんがおもしろい記事をかいています。

 イヴェット・ザンガロ、Shkira、スティービー・ワンダー、エルトン・ジョン彼等はロックという範疇に入るの?!というご意見。でも、もしネーミングを「Pagode in Rio」としたら受けないでしょう。ジャズがそうなったように、最近のすべての曲がロックに影響され、それを吸収していないものはないのだから。
ロッキン・リオが単なるお祭りではなく、フランチャイジングであり、グリッフであり、ピラミッドであり、遊園地(ゲーセン?)であり、同時に異質なものの集まり、社会の反対勢力であり、社会を暴くものでもあると言っています。いつの時代もそうでした。

 彼は最初のRock in Rioが開かれた1985年を懐かしみ、あの当時は大スターを招待する技術的な受け皿もなかったとし、すでにリタイアしたり、引退間近なシンガーしか呼べなかったとし、もし、あの当時に本当の
公演可能な場所はリオではなく、サンパウロだけだったと。リオはあくまでもカーニバルと美しい海岸とムラタ褐色の美女であったと。
そして最後に、ブラジリアン・ロックはだれも窒息死させたくはないし、中断することもないし、ただ、雑音?を出し続けたいのだと。例え教会や政治家ETCの反発があったとしてもと結んでいます。

ああ、この間に200件の盗難と紛失届けがあり、音響効果にも問題が続出し、衛生面トイレ等も最低だとか
入場料はほぼ日本と同じ、一万円でした。次回のRock in Rioは2013年を予想、観客動員数は15%マイナスとか。よっぽど運営が悪かったんでしょうか。

F-1、世界サッカー、オリンピックとイベントが続きます。ギリシャがオリンピック開催の赤字が経済破綻の一端となったとか。ブラジルがそうならないことを願いつつ、でも楽しみです。

ようこそ

Blogには航海日誌という意味もあるとか。それならば人生の航海日誌を日々の何気ないできごとにたくして、人生の終盤を私流に生きていますということを、ちょっとかっこつけて、書いてみようと思い立ちました。サンパウロに住む利点を生かし、まったく個人の目からみたこちらのニュースも流します。もう一つ、自他共に許すあの福山さんの大ファンなので、彼の発言をだしに、一言申し上げる所存でもあります。反発され、石が飛んでくるかも知れませんね。

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学生運動の最盛期に卒業し、移住。血液 AB型 趣味 お琴・コーラス・読書

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