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なんとサンパウロで「そして父になる」を見ました!!!!

 10月31まで2週間にわたって、「サンパウロ国際映画祭」?が開かれていたのは知っていましたが、まさか是枝監督のこの「カンヌ国際映画祭」審査員賞をもらった作品を、サンパウロで見られるとは・・・・小津安二郎・宮崎駿・北野武作品が上映されるという活字は見ていましたが。

 3日前に「アイドルの映画、見てきました?」(計3回上映)との情報が入り、なになに????ということで、ネットにはいっても売り切れ!当日発売券に望みをかけて。そして息子が飛んでいって、ゲットしました。ありがたやです。

 映画館は200人弱収容のこじんまりとしたもの。満員でした。この映画祭のために休暇をとって
朝から地方やアルゼンチンなどからもマニアが集まるとか。日系人はほとんど見かけませんでした。
 さて、観客の反応ですが、大いに笑い声があがったり、静かになった・・・子どもを持つ親や周りの反応は同じでした。お隣の20代の女性はメールを受信しながら、何度も「coitado!可哀想に!」を連発していました。

 問題は深刻なのですが、日々の生活は変わりなく回っていきます。日本の現実が二つの家庭を通して、よく映しだされていました。さすが、是枝監督です。

 こちらの人からみて日本人のしぐさ、愛情の表し方などの違いがはっきりと示され驚きでもあったかと思いました。ハグ社会からみると、この夫婦、今危機的状況?!というふうにとられますね。きっと。

 アイドル演じるエリート・サラリーマンの人生を自分の計画にそって、システマチックに進んでいく主人公の変化がよく描かれていました。人の心は「ミッション」では動きませんし、人工森を「15年」
で造ったことが、長いのか短いのか?

 おばあちゃんの明るさ、育ての母親の気遣い、フランキーさんの奥さんのたくましさに共感しました。アイドルも好演でした。きらっと光る作品をありがとうございました。




今回はアジアに焦点!ベビー取替えを扱った日本映画

 

サンパウロ・ビエナーレ その2

ビエナーレ参加アーチストの中に、アメリカ人Sergei Tcherepninさんと日本人Ei Arakawaさんの共同作品を見に出かけました。メトロ・サンタ・クルス駅近く。モデルニストの家Casa Modernistaへ www.museudacidade.sp.gov.br/casamodernista.php


この住宅はブラジル近代建築による住宅第1号といわれ、サンパウロ州の歴史的記念建造物に
指定。1927-1928年にロシア人建築家Gregori Warchavchikさんが自宅用に建てました。

ル・コルビジュLe Corbusierの近代建築のコンセプトに、ブラジルの風土に合った建築を実現させたとされます。1万3千m2ある庭園はMina Klabin Warchavchikさんが、ブラジルの樹木と花々を組
み合わせたトロピカル風。今はあまりその感じはありませんでしたが。雑木林かな。

ボーイスカウトのキャンプに使われていたとか。なるほど。街中にこれだけの静けさはあまりないですから。

見たいと思っていた歴史的建築物とアートが一度にできて良かったです。

この金属板を動かすと、音楽が流れます。畳一畳くらい。
音楽と写真の関係があるのでしょう。音量は自由に調節。
アート・ガイドさんが実演してます。もちろん、
皆それぞれに動かして楽しんでました。
私も始めての体験でした。
音楽とアートのコラボ。いろいろなアイディアに敬服。

当時の家具やライト類などもすべて、Minaさんによるもの。
残念ながらなにも残されていません。
ガラスブロックや鉄の扉に
敷石もモデルニズム的!?

この住宅の正面に病院があります。これが戦前、日本政府が援助してたてた日本病院。
戦争中、没収されましたが、戦後、日系社会にもどり、現在はサンタ・クルス病院と改名。
私も利用してます。年とともにお世話になります。
















MAM こちらの方がビエナーレ?

今回のビエナーレは会場をいくつかの美術館と提携し、分散して展示していることです。
ビエナーレ館のすぐ前のMAM(Museu de Arte Moderno)でも、その一環としてアドリアナ・バレジョン
(Adriana Varejão)展を開催中。www.mam.org.br/

ここの館長さんはミルーさんという女性。イタウ銀行というトップバンク一族の方で、ここのほかパウリスタ大通りにもイタウ銀行文化センターを運営しており、現代アーチストに場を提供しています。

水墨画的な絵の下に頭を切られたタコが何匹か貼られた絵。
現代アートは固まった頭にショックを与えてくれますね。
貝の中に胎児。ウーーーン
切り取られた空間。分かりやすい。
タイル画。でもすごいテーマですね。
イビラプエラ公園は文化複合施設一杯。この後ろの建物はインディオの家屋を真似た展示館。
OCAオッカ。ステンドグラス的装飾がほどこされて。
これは来週から始まるバチカンー宗教と芸術展の装飾です。
でかけなくちゃ!ただ、入場料がかなり高めです。44レアル!?
自然のアートが一番!!  ほっとします。
MAMで仕事をなさった写真家さんのページです。
http://www.foiltokyo.com/rinko/saopaulo.html

ミルー館長Milú Villelaの「アートへの賞賛」という記事の中で、サンパウロはもうロンドン・NY・トウキョウ・パリ・上海・ムバイなどの世界アートの町になったこと。国連の調査によるとブラジルの文化輸

出はまだ世界で35番目であること。我々は鉱物や石油や農産物の大輸出国だが、これからはアイディア・創造性や異文化を輸出していくこと。世界がブラジル的な感覚を求めていること。そして

ブラジルに対する認識が変わってきていることを歓迎すると書いています。
中間層の広がりに比して、庶民が自信を持って生きているように私も思います。すばらしことです。







2012 年 サンパウロ・ビエナーレ その1

今年のビエナーレの概念は「詩の緊迫」としていますが、あまり人気がないようです。
キューレターはベネズエラの Luis Perez-Oramas さんは、庶民はアートよりも観念に支配されているからだと反論しています。

出展アーティスト100名内ぶらじる人21人。配置は4つのテーマに分かれています。
①生存 ②高波? ③漂着 ④高速 

奇をてらった作品がなくなり、静かさがもどったようです。土曜日の11時に入館。観客も
少なく、ゆっくり楽しみながら歩きました。もう一度訪ねる予定。
2012年9月7日から 12月 9日まで開催です。オフィシャル・サイトは www.bienal.org.br

かのオスカーニーマイヤーの作品です。中央がのぼりとくだりのスロープ状階段。
この両側が展示室。ガラスばりの建築ですので、陽光がいっぱい!
きもちいいですし、眼が疲れたら、公園の樹木が直してくれます。
この作品が最もビエナーレ的?地面の中にコンクリートが吸い込まれていきます。
建物崩壊でしょうか。テーマに近いのかも。
すべての板はぐるぐるモーター仕掛けで回っています。面白い。
若い人のファッションはどこも同じ。
ガラスのマジック!四面対。

粘土に包まれたかぼちゃ・サツマイモ・リンゴなど、焼きただれた瓦礫からの再生でしょうか。

モナリザ・車輪・靴下  その心は?現代アートの楽しさ!
これもアート?
世界が燃えてます?それともあなたの心が?
再生可能資材アート。
他州からのグループです。ピクニック気分で楽しそう。
このカーテンもキッシュですね。

入り口正面に飾られたアメリカ人の作品。写真の口から黄色いメガホンが出ています。
何か叫びたいのかな?









JUN NAKANO と ロンドン・オリンピック閉会式と「GAME」

 ロンドンオリンピックも終わりました!


私はあまり見なかったのですが、アスリートの活躍で、盛り上がってはいましたが、日本ほどでは。ネイマールには国民全員が落ち込んでいましたが。日本のアスリートは皆さん大活躍でしたね。

政府関係者はオリンピック強化費をつぎ込んだ割りにメダル数が少ないとか、ブラジル・オリンピック委員会の不手際に文句が出たり?!で話題には事欠きませんでした。


「Moda no Brasil」の展覧会カタログ Jun Nakanoのページ

さて、オリンピック閉会式のブラジル・ショーはいかがでしたか。
マリザ・モンテさんの衣装もステキでしたね。すごい量の傘を使った波模様?

☆このショーの舞台監督のを務めた1人ジュン・ナカノさんの閉会式前のインタビュー記事から。

-300人もの衣装はブラジル国内と現地ロンドンとローマで作成。 準備期間はたったの2ヶ月間。

-皆ハリウッドや海外で仕事をしたことのある優秀なプロ集団。

-300人の出演者はすべてブラジル人ではなく、現地のボランティア。

-テーマはカーニバル的なものもあるが、ブラジルの歴史や自然の幻想的な感じも表現したい。

 何しろ全世界で40億にのぼる人々が、このショーの中にブラジルをイメージするから。

-すでにメディアによって、ブラジルはどんな世界をも包み込んでしまうフォームを持っている国との
 認識がある。etc

 Jun Nakanoさんは 技術高校では電子学を学びましたが、大学で美術に変更し、その後、ファッションの勉強をなさった方です。まだ45歳の新進デザイナー!

 1988年日本へ。Issei Miyake, Yoji Yamamoto, Lei Kawakuboを知る。その20年後の2008年、「生活が形になる時ーーー未来のブラジルと日本の対話」と題する展覧会を東京現代美術館MASP「で

開催。

2004年のサンパウロ・ファッション・ウイークで「紙のドレス」で世界をあっと言わせました。

 今、FAAP で「ブラジルのモード」と題して、展覧会も開かれています。こちらで見られます。 www.faap.br (FundasaoArumandoAlvaresPenteado美術大学付属美術館です)



☆ オリンピックというと、1964年東京オリンピックで新宿駅周辺で英語の通訳をしたことを思い出します。英語圏ではない観光客の皆さんと会話しました。楽しかったです。今ではすっかり錆びてしまいましたが。


☆アイドル福山さんのオリンピックソングCD「Game」が発売されます。姉に送ってもらいましょう。楽しみがまた一つ増えました。うれしきかな。どんな曲でしょうね。


福山さんCDがサイモン・ガーファンクルのCD数を超えて20枚に?!!!!











ブラジルのツナミ?

今月の7日から17日まで、サンパウロ国際書籍ビエナーレが開催されました。
本好きの1人として、若手をお供に行ってきました!

政府文化予算が適応されるか、開催のメドが立っていなかったようですが、そこは
ブラジル流解決法で、ちゃんと幕を開けました。昨年よりも出展出版社が増えたそうですが、
これは東京国際書籍ビエナールと比べれば、 300強でまだまだですが・・


さて、大学書籍関係ブースで、サンパウロ大学の雑誌の最新号を見つけまし
特集は東日本大震災について。地震・津波・原子力発電について、専門家の記事が満載!

その中で、ジョゼ・アルベルト・ヴィヴァス・ヴェローゾ(Dr.Jose Alberto Vivas Veloso)先生が「ブラジルのツナミ?」という記事を書かれています。あったんですね、ここにも。

主なツナミ

1)1541年 サンパウロ州  サン・ビセンテ        気象構造変化? マグネチュード? 
2)1666年 バイヤ州     サルバドール市       気象構造変化? マグネチュード?
3)1789年 サンパウロ州  カナネイア市         地震による    マグネチュード 4.5
4)1919年 バイヤ州     トードス・オス・サント湾   地震による    マグネチュード 4.2
5)2006年 大西洋上   サンペドロ・サンパウロ群島 気象構造変化  マグネチュード 5.3~6.0

1)まだサンパウロに原住民教化のための村が海岸沿いに建てられていた頃。ベネジクト派の
 ガスパール神父の報告書に、集落や教会が高波に流され、新しい村の建設にお金がかかった
 とのこと。

3)いつもは波も穏やかなこの漁村に、2分間地面が揺れ動き、その後、高波が押し寄せたとの記
 録。幸い被害は無し。原因はこの場所から30kmはなれた大西洋の海底地震と見られます。
 1946年にもほぼ同じような記録あり。

 この地には国立海洋研究所もあり、魚介類の養殖の地。釣りのメッカ。あ、そうそう、40年ほど
 前、株で儲けた知人ご夫妻がつり宿から始め、今では立派なホテルになって。確か「ホテル・
 コケイロ」でしたか。

4)すごい数の魚がまるで海の電線に触れたように、高く舞い上がったと漁民の証言。このときは
 高台への避難勧告が出され、人的被害は無かったとのこと。

 2)4)とも、世界文化遺産に登録された美しい場所ですが、自然災害にもあっていたわけですね。

5)ペルナンブコ州に属するブラジル本土から最も離れた(約1000km)海の孤島。

 1511年に発見されているが植物育たず生水もない所から、1995年ブラジル海軍が灯台を設置す
 るまで放置された。1998年、気象状況や海洋資源調査のために科学ステーションが海軍によって
 開設。現在4名の軍関係、専門家が駐在。

 映像によると本当に孤島ですね。人のためにがんばってる人がいるんですね。
 you tube やg1.globo.com や veja.abril.com.br やtv.estadao.com.br/video  で見られます。

 東日本大震災でまだ自宅のない、もどれない人々が34万人もいるそうです。一日もはやく、
 戻れるか、新しい場所での再出発ができますように。そのための勇気を心からお祈りします。

 フェアー開催中は、販売価格が最大30%引きですので、写真のきれいな本を求めました。
 孫にも買ったし、でもくたびれますね、場所広すぎ!?年です、わかってます!










盛り上がりました!BEGIMのライヴ



まさかサンパウロでBEGIMのライヴにいけるなんて!それもただで!?
お話はこうです。1908年の最初の移民船「かさと丸」で、多くの沖縄県人が夢とともに、ブラジルにやってきました。同県人の結束の固さには定評があります。現在はなんと40ちかくの支部があり、会員数は万を超えるそうです。そのため2008年の移住100周年記念にBIGIMにライヴ打診をしたのですが、どうしても調整ができず、今回やっと実現したそうです。

 最初、沖縄県人だけの限定でしたが、サンパウロ市長から、5000人収容のアニェンビー展示会場を無料提供されたため、一般人にも券が配布されました。入場無料ですが、1kgの粉ミルクをできたら、持参せよとのこと、これはよくある形式で、市営の幼稚園や小学校の給食の1部となります。

 配布当日、指定された都心のコーヒーショップへ、出かけましたが、何と朝の7時半に300人が並んでいたとか。当然、券も入手できず、あきらめていた所に、BIEGIMと同じ石垣島出身の友人が10枚を職場にまわしてくれました。当然、くじびきとなり、クジ運のない私としてあきらめていましたが、見事あたり!

 11月12日(土)、ライブ開始は午後4時、開演は12時(昨夜から並んだファンもいたとか。スゴイ!)友人と二人喜び勇んで出かけました。彼女はpressでお仕事。私は60歳以上の特別席で(前列20列目?)。
コンサートのための会場ではなく、国際書籍ビエナーレなどが行われる場所に椅子を5千並べ、ステージが組まれました。音響効果は素人の耳には?!

 テレビやYOUTUBEでおなじみのお三方はラフな沖縄スタイルで登場!
 当地の人たちはBEGIMをビジンまたはベジンと発音!すべての曲に、ピューピュー音と名前の連呼、合いの手をいれ、沖縄太鼓の演奏もあり、大変盛り上がっていました。途中からは後方の自由席の若者たちは踊りはじめました。90%が沖縄系出身で客で、お年寄りは故郷を懐かしんでおられました。いろいろな島の歌を方言で歌われました。

「涙そうそう」「しまんちゅうの宝」「さんしんの恋」などヒット曲も一緒になって歌ってきました。気持ちよかったです。翌日の邦字紙によれば7000人を動員したとのことです。


BEGIMの皆さん、心温まるライブをありがとうございました。

春です!Feira de Flor 花市です!









日本は紅葉が美しい秋たけなわ・・・当地は春たけなわ、どこでも花祭り、緑の祭りです。観光源としてどの市でも力を入れています。オランブラ市(オランダからの入植者の地域でお花の大生産地としても有名で、その6割は欧州向け輸出花です)を始め、毎週どこかで開催されています。
 私も友人の車で、サンパウロから60kくらいのアルジャー市へ行ってきました。蘭類や藤の花、観葉植物、三色すみれ、バイオレットetc、日本庭園を模したものや展示もいろいろ。花々や緑に元気をもらって帰ってきました。抱えきれないほどの植木鉢を買って。
 この地の小型三色すみれが色の配色もよく、強く庭園にもぴったりとか。友人は2ダースも買い求めていました。庭の手入れで彼女が苦手なのはナメクジだそうです。ブラジル・サイズは15cmもあるそうで、一晩で葉を食べつくすそうです。トロピカル気候は繁殖も速く、なんでも大型です。

 お昼は同市の日系農業団体の婦人部の皆さんのお弁当、おうどん、カレーライス、焼きそばなど勢ぞろい。
行列の少ないお弁当を試食。おいしかったです。そのほか、お手製のお味噌、ラッキョウ、福神漬け、イチゴ大福などもゲットしました。当分日本食でうれしいです。
 カメラを忘れたので、家で撮った写真の1部を載せます。







Rock in Rio 2011 終わりました!


9月第3-4週末に行われたこの恒例?メガ・エヴェントも動員数70万人を集め成功裏に終わったそうです。
ああ、もちろん、高齢の私が行ったわけではないのですよ。ただ、音楽に興味がある1人として、見ていたわけです。you tubeで見られた日本のロック・ファンもいるかもしれませんが。
ミュージッシャンであり、作家でもあるトニー・ベロット(Tony Bellotto)さんがおもしろい記事をかいています。

 イヴェット・ザンガロ、Shkira、スティービー・ワンダー、エルトン・ジョン彼等はロックという範疇に入るの?!というご意見。でも、もしネーミングを「Pagode in Rio」としたら受けないでしょう。ジャズがそうなったように、最近のすべての曲がロックに影響され、それを吸収していないものはないのだから。
ロッキン・リオが単なるお祭りではなく、フランチャイジングであり、グリッフであり、ピラミッドであり、遊園地(ゲーセン?)であり、同時に異質なものの集まり、社会の反対勢力であり、社会を暴くものでもあると言っています。いつの時代もそうでした。

 彼は最初のRock in Rioが開かれた1985年を懐かしみ、あの当時は大スターを招待する技術的な受け皿もなかったとし、すでにリタイアしたり、引退間近なシンガーしか呼べなかったとし、もし、あの当時に本当の
公演可能な場所はリオではなく、サンパウロだけだったと。リオはあくまでもカーニバルと美しい海岸とムラタ褐色の美女であったと。
そして最後に、ブラジリアン・ロックはだれも窒息死させたくはないし、中断することもないし、ただ、雑音?を出し続けたいのだと。例え教会や政治家ETCの反発があったとしてもと結んでいます。

ああ、この間に200件の盗難と紛失届けがあり、音響効果にも問題が続出し、衛生面トイレ等も最低だとか
入場料はほぼ日本と同じ、一万円でした。次回のRock in Rioは2013年を予想、観客動員数は15%マイナスとか。よっぽど運営が悪かったんでしょうか。

F-1、世界サッカー、オリンピックとイベントが続きます。ギリシャがオリンピック開催の赤字が経済破綻の一端となったとか。ブラジルがそうならないことを願いつつ、でも楽しみです。

心のこもったお琴演奏会でした


 お琴の記念公演無事おわりました。その他大勢の1人でもほっとしました。
開催にこぎつけた宮城会の名誉会長や会長の大先生のご苦労はいかほどだったことでしょう。東日本大震災支援と銘うった会に300人ちかくの皆さんがご協力くださいました。MASP美術館の講堂で行われました。

 サンパウロ総領事館から総領事ご夫妻もいらっしゃり、ブラジルからの今回の大震災に対しての援助に感謝されるとともに、日本の伝統文化の普及に努力している宮城会にも激励のお言葉をいただきました

 まだ新米だったり、永遠に新米のおばさん、おばあさんの演奏に、先生方はどうしましょう、これで本番okなの!?と思いきや、何故か知りませんが、そういう時には強力な助っ人(言葉悪いんですが)が現れるのです!今回は日本の宮城会の大先生・谷真紗重師が参加され、それはそれは素晴らしい「春の海」や「落ち葉の踊り」を演奏してくださいました。プロですね。音色が違う!表現力の素晴らしさ!正確さ!

 谷先生の筝曲を聴けただけでもよいかった。お琴の音、本当に好きです。幽玄の世界などは分かりませんが、すべてを浄化してくれるようですね。

 また先生はお琴のテクニックだけでなく、練習が終わっていないのに途中で帰るとか、楽器の移動などに手助けをしようとしない人たち、特に若い男子!!!(最近の若者はとは言いません、こちら育ちにとってはあたりまえなのです!?アア・・)客席は見ないように。上がってしまうから(先生は多分、こちら育ちなら、来てる観客の中に友達を見つけたら手をふってしまうことを見抜いていらしたのかも知れませんね。)

 そのほかにも、当地の派遣社員の奥様やJICAのシニア日本語教師(彼女は風邪をおしての出演でした)の方々にも素晴らしいお三味線やお琴を聴かせていただきました。その上、調弦までお世話になりました。
そのほか、ご主人様方をはじめ家族の全員などいろいろな人との繋がりがあって、会が存続していくのですね。感謝です。

 舞台終了後、会長のところで茶話会。みんな失敗談など披露。お琴を運ぶとき、乗車拒否にあった人。楽譜のページを飛ばし、頭が真っ白になった人、足ががくがくしてたのを利用?してマイクをヨコに押し出した人、着物の着付けに不満な人、着物姿とお琴でご主人にその魅力を再アッピールしましたねとの問いに、お琴のよさなんか分からないの、私はお琴運搬人がほしいだけと言い放つ人。もうやめときましょう。ああよく笑って楽しかった

 帰宅後は今日入院された我がポルトガル語の先生からも、今日は間違えないで弾けましたかとのお電話もいただきました。ありがとうございます。もちろん間違えました。でも、今日は本当にいい日だったなあ・・・
被害地の皆さんにも心がほっとする時がありますように!

 

東日本大震災への小さなお手伝い


あの大震災からはや一ヶ月がたちました。幹線道路・港湾等の復興は目に見えてよくなっているようですが、避難所で生活なさっている方々の数はまだまだ減っていません。高齢者の方々の健康が心配です。

原発問題で県外などに避難されている方々、故郷を懐かしむどころか、必死に、明日からの生活の建て直しをお考えのことと思います。道は必ずあると信じています。

1956年?にあった地震災害で、福島県のある村落の皆さんが、その翌年、アマゾンに入植したとのことです。また、チェリノブル原発のあとにウクライナ人グループがブラジル南部の同郷のコロニーに入植したとの
記録もあります。息子たちも、おじさん・おばさんに心配しないでと伝えて。こっちで生活しませんかと。そんなに簡単なことではないのですが。

それで、私たちの教会も小さなお手伝いをしました。4月10日、古着バザーを開きました。これは日本の教会の皆さんからのいただきもので、教会の活動のための資金になっている大切なものです。300人以上の方々が
協力してくださいました。


青年たちもカレーライスを食べて、がんばってくれました。古着のほかにも食堂や古本市、ケーキや石狩昆布などの食品、シュラスコ(肉の串刺し)もよく売れました。みんなの心が一つになって、小さなお手伝いができて感謝です。
日系コロニーで今までに1億円の義捐金が集まり、日赤を通じて送られたと邦字新聞が伝えています。

estão gambatendo エスタン・ガンバッテンド(皆がんばっているという日本語とポルトガル語の合作デス)まだまだです!!!

灯篭流しブラジル版 



燈籠流し ブラジル版

毎年11月2日はブラジル版お盆の日にあたります。昨日は燈籠流しで有名なレジストロという所まで行ってきました。団体バスツアーで。かつての日本人移住地で、戦前はお米、現在はバナナとお茶の産地として有名です。

この燈籠流しは1955年から当地の日蓮宗のお寺のお坊さんがこの地をゆったり流れるリベイラ河で水難事故にあたった人々の霊を慰めて、燈籠を流したのだ最初だそうです。現在は、すべての亡くなられた方々の霊をなぐさめる行事へと変わりました。仏教・カトリック・プロテスタント・新宗教とエキメニカルで行われています。すばらしいですね。

夕闇もせまった夜7時、大きな船から200基の燈籠がリベイラ河に流され、海へと下っていきます。

私も母の新盆にあたりますので、心をこめて名前を書きました。あの闇の中の小さな小さな光りに祈りました。でもあの世で、父とケンカしてるだろうなと少しクスンときました。

さて、その後、花火で式は終わるのですが、とにかくサンパウロや近郊からすごい人出!主催者側は

2万人と予想してました。ずっらと並んだ屋台?にはヤキソバ・テンプラ・ウドン・スキヤキからデザートの和菓子までずらり!!!! 当然、座る場所は足りなくなります。なんせ朝早くからきてます我ら団体は、デンとして1等地を確保しています。

そこへ、15-6歳の少年が2人。「おばちゃんSenhoras、僕たちヤキソバ食べる場所が無いので、ちょっと座らしてくれませんかと荷物で占領された椅子をさしていいました。これはトイレに行った仲間の分ですが、「いいわよ。さあおばちゃんたちを怖がらないで、座って、食べなさい。」と孫のような2人を座らせました。彼らも、おばあちゃんとおかあさんはあっちで、すしを作って、売ってるのとか、おしゃべり・・・・いいな・・・こんな場面に出会って。まだ健在です世代を超えた交流が。













































サンパウロ・ビエンナーレ展

第29回サンパウロ・ビエナーレが9月25日~12月12日まで当市イビラプエラ公園内ビエナーレ館(オスカー・ニーマイヤー設計)で開かれています。
最近同財団は莫大な借金があったのですが、やり手の企業家ヘイトール・マルチンス氏をむかえ、開催にこぎつけました。予算は1700万ドル。世界の159アーチスト、600点が展示されています。
入場無料。美術教育の一環として、小中高生のために、多数のガイドが働いています。

物議をかもした作品から。生きたハゲタカが死肉を食べる作品に動物愛護協会から厳重な抗議が入り、2日目に回収。鉄製の檻だけが宙に浮いてました。

今度はハモノやピストルでルーラ元大統領やブッシュ元大統領やエリザベス女王を脅している絵画には、当地の弁護士協会から暴力犯罪を助長するとして撤収の抗議が来ていますが、財団はこちらには表現の自由であるとの見解を示しています。

奈良美智さんのナイフを持つ少女の方がいいですよね。

現代アートは何だか分からないから嫌いという風潮が普通。私の友達も頭が痛くなるからいかない組。
でも見なきゃコメントもできないでしょ。ゴミの山?木屑の捨て場所?線の交じり合う美しさ?美しい布地で迷路作り?椅子が並んでるだけじゃないの?ビジュアル・アートが半分?くらい占めていました。窓の外の自然を見て息抜きしながら見て回りました。外に出ると、日本の鳥居に植物写真がぶら下がっていました。その前には禾の字の形象?

ベルサイユ宮で日本人アーティスト村上氏の現代彫刻が賛否両論で、1日の入場者が1500人を超えたとのニュースを有力紙が伝えています。いやな感情や眠っていた感覚を揺り起こす働きも現代アートにはあるんでしょうね。
入場者数を百万と予定していましたが、53万人と修正してます。
興味のおありの方はビエナール公式サイトへどうぞ!http://www.29bienal.org.br/
キューレイターとして日本から長谷川ヨーコ氏が参加しています。金沢近代美術館を経て、国立東京近代美術館へ。ブラジルの現代美術関係の展示会も手がけた方だそうです。 日本からの6人グループChim Pom の作品どこにあるのかわかりませんでした。残念!!














ようこそ

Blogには航海日誌という意味もあるとか。それならば人生の航海日誌を日々の何気ないできごとにたくして、人生の終盤を私流に生きていますということを、ちょっとかっこつけて、書いてみようと思い立ちました。サンパウロに住む利点を生かし、まったく個人の目からみたこちらのニュースも流します。もう一つ、自他共に許すあの福山さんの大ファンなので、彼の発言をだしに、一言申し上げる所存でもあります。反発され、石が飛んでくるかも知れませんね。

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